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「ユニチカ跡地売却問題」695名の住民監査請求が提出されました。

2016年06月02日20:21


ユニチカ

12月議会、3月議会でとりあげたユニチカ跡地問題をめぐって、豊橋市政上かつてなかったと思われる695名の市民による住民監査請求が本日提出されました。市政とはだれのものか。市の対応は誤っていたのではないか。ともあれこの問題は大きくクローズアップされるところとなりました。

この問題について、経緯や問題点を以下に記したいと思います。(長文となりすみません。「東三河くらしと自治研究所」会報への寄稿文を少し改訂したものです)

市政のあり方が問われるユニチカ跡地売却問題」と住民運動の広がり
                  
豊橋市の南部、高師緑地の北側に位置する8万坪余、27万㎡の広大な土地の売却をめぐって、695名というかつてなかった大勢の豊橋市民による住民監査請求が本日提出されました。豊橋市政のあり方を根本から問う重大な問題に発展してきている「ユニチカ跡地売却問題」について、その経過、問題点、今後の方向について報告したいと思います。

1、ユニチカ跡地問題の経過について
この問題の発端は、2015年9月28日に、ユニチカ豊橋事業所の用地27万㎡、(約8万坪、東京ドーム6個分の広さ)を63億円で積水ハウスへ売却することが、議員へのFAXによる通知で明らかになったことからです。地元新聞には9月30日「ユニチカ豊橋事業所の跡地積水ハウスへ売却、27万㎡、住宅地に」と報道され、はじめて市民の知るところとなりました。
ほどなく日本共産党豊橋市議団にユニチカと豊橋市の間に交わされていた「覚書」、「契約書」などの文書が届けられました。所持していたのは牧野英敏前市議会議員です。

大日本紡績(のちのニチボー、現ユニチカ)が豊橋市に工場を新設するに当たって、豊橋市が用地の提供、諸便益を供与することに関し、1950年(昭和25年)12月5日付で、大日本紡績と豊橋市、豊橋市議会の間で締結した覚書および1951年(昭和26年)4月3日付で同社と豊橋市との間で締結した契約書には、「甲(大日本紡績)は、将来敷地のうちで使用する計画を放棄した部分はこれを乙(豊橋市)に返還する」(契約第12条)とありました。

当時日本を代表する紡績会社であった大日本紡績の誘致には、豊橋市だけではなく、全国で28箇所が名乗りをあげ、猛烈な誘致合戦が展開される中、土地は無償で譲渡、鉄道引込み線を引き、関連の道路や、排水路も新設、固定資産税は6年間免除するなど、手厚い優遇策を提供し、市、市議会、経済界などが一丸となって、誘致に成功したと「豊橋100年史」に記されています。

当時を知る方のお話や、記録などによると、もともとこの土地は陸軍の演習地であったところを、市が国から払い下げを受け、戦後間もなく、戦災の罹災者、引揚者など37戸が開拓農家として入植していました。苦労して開墾し、生活の基盤もやっとできたところへ、土地を手放せと非常に重い決断を迫ったため、その農地買収に最も困難を極めたということです。
こうした代償も払いつつ、豊橋市が大日本紡績に対し、手厚い優遇策を供与し、代わりに将来同社が撤退するとき【使用計画を放棄するとき】は返還をするという第12条を盛り込んだ意味は非常に重いものがあるといわざるを得ません。

1966年(昭和41年)には、改めて「疑義事項協議書」を交わしています。1964年(昭和39年)に大日本紡績株式会社が社名をニチボー株式会社へと改称、東京オリンピック後の不況や、繊維産業に陰りが見え始めたという背景の中で、契約書第12条の字句の解釈について、「原契約第12条に規定する『将来』とはある一定の期限を有するものではなく、何ら期限の制約を受けるものでない」また、「…敷地のうちで使用する計画を放棄した」とは「甲(ニチボー)が使用する計画を放棄する旨甲自ら乙(豊橋市)に対して意思表示した場合に限る」と、再確認をしているのです。

これらの明白な経過があるにもかかわらず、豊橋市はなぜ売却を容認し、返還請求をしなかったのか、そして、この事実を市民や議会に知らせなかったのか、日本共産党市議団では12月、3月市議会の一般質問および5月10日の総務委員会で、繰り返し質問を行なってきました。

2、 市側の答弁の変遷

鈴木に対する12月議会での答弁は、「ユニチカ豊橋工場が存続できないことについては大変残念なことであるが、これについては同社の経営上の判断であり、やむを得ないものと考えている」。また、市の説明責任については、「土地の売却についてはあくまでもユニチカの経営上の判断であることから今回のことについては本市から説明するものではないというように認識している」というものでした。

そして3月議会になると、契約書の内容に言及したものの「敷地を放棄する部分は市に返還する」という規定について、「誘致の目的を果たすことなく使用計画を放棄した場合の対処策として設けたものと理解している。したがって豊橋事業所の閉鎖に伴う土地の取り扱いについては、使用計画が長きに渡る事業活動によりすでに充分達成されており、誘致契約の目的も果たされているから市の判断を必要とするものでないと認識している」、「便益の供与はユニチカの工場建設および操業が前提であり、これが履行されなかった場合の保証」であったと答弁が変わってきています。

それならば、期限や基準を設けるなりして、ユニチカが当初の目的を充分果たしたときには、市は返還請求権を放棄するという一文があってしかるべきではないか、豊橋市は契約の一方の当事者であるにもかかわらず、なぜ約束の履行を求めなかったのか。まるで第三者の立場に立って、最初から一方的にユニチカの言いなりになっていたとしか考えられないと述べ、返還を求めたのか、市長にも答弁を求めましたが、市長は一切答弁に立ちませんでした。

この議会に先立って、2月14日には90名以上の市民の参加で緊急集会が開かれるなど、説明責任を果たさない市の対応を問う声が急速に広がり、3月議会後には、住民監査請求の準備も始まりました。

そんな中ついに市が動き、議会側へ説明するという申し出により開かれたのが5月10日の総務委員会です。
堀内副市長が説明に立ち、「12条の規定は、操業している土地の一部の返還を定めたものであって事業所全体を閉鎖し、全面撤退することを想定したものではない」と、この条文についてのあらたな見解を展開、「土地の全面返還義務を定めた特約がない以上、損害賠償請求などすることはできない」と述べ、さらに、「損害賠償請求がクローズアップされ」たことから弁護士とも相談し、あらためて個別に詳細に検討し、整理したこと、「仮に損害賠償請求を行なった場合、そのことによって得られるものは何もなく、そのようなことを争うことは、誰にとっても何ら利益をもたらすものではない」と、市民の間での動きをけん制するかのようなきわめて問題となる発言をしたのです。

「使用する計画を放棄した部分とは一部ならよいが、全部の場合は当たらない」という副市長の発言は、ユニチカ跡地問題を特集した、その夜のNHKのニュース番組でも焦点となり、宮入興一愛知大学名誉教授が「放棄した部分というのは一部とか全部という問題ではない」とコメントしています。

この総務委員会の質疑の中で、12条の認識や取り扱いについて、ユニチカと協議はしていないということも明らかになりました。
また、積水ハウスの作成した跡地の開発計画が参考資料として添付され、今後の地元説明会などにも市が同席し、一体となって取り組んでいくという意向も示されました。

3、ユニチカの撤退申出以降、市はどう対応したのか。

2014年10月9日にユニチカから、市長あてに①平成27年度3月末までに、豊橋事業所を閉鎖する ②閉鎖後の敷地は再開発を前提とする第三者に売却したい ③敷地の売却は三菱UFJ信託銀行をアドバーザー兼仲介者として執り行う ④敷地の売却および開発を行なうにあたり豊橋市に相談したい、という4点を盛り込んだ文書が提出されました。つまり、この時点が疑義事項協議書に規定された「ユニチカ自らが使用の計画の放棄の表明」をしたときにあたります。

その後、10月29日にユニチカの代表取締役社長が市を訪れ、市長に対して、ここに至った経過の説明を行ない、11月には両副市長、および関係部局長(総務・財務・企画・環境・産業・建設・都市計画)により、庁内の「ユニチカ敷地対策会議」が設置され、庁内での情報の共有、工場誘致の経過の整理、土地利用や周辺道路に関わる諸問題、ユニチカへの問い合わせや同社からの相談の対応などを目的として、7回に渡って会議を行なってきています。

鈴木正廣氏(ユニチカ跡地返還を求める会事務局長)の粘り強い情報公開請求によって初めて明らかになったもので、市は一切公表していませんでした。
「会議メモ」には、「開発業者に過去の経緯などを同一に説明する必要がある」「市が説明者となるのはおかしいので、ユニチカから説明してもらう」「議会への報告は遅滞なく行っていく」「事業を推進する上での障害をしっかりと整理すること」などと記されています。
ここには、市民や議会に一切知らせることなく、市長をはじめとする市幹部と業者間ですべて進めてきた豊橋市の市民軽視、議会軽視とトップダウンの姿勢があらわれています。

4、ユニチカ問題の今後

跡地には深刻な土壌汚染問題もあります。基準値に対し830倍の土壌溶出量、120倍の土壌含有量の鉛や、基準値を上回る六価クロム、フッ素化合物が検出されています。これは、繊維部門撤退後、プリント基板工場を操業していたことによる汚染です。建物解体による廃棄物もあわせ、往復5000回以上にものぼるトラック運搬が2016年4月1日からはじまり、2017年5月まで行なわれます。周辺住民の生活への影響は重大かつ深刻であり、市は二次汚染や、騒音などの環境対策に監視、指導責任を果たしていくことがもとめられています。

また、今後すすめられていく「まちづくり」においては、市民の納得、理解を得るため、すべての情報を議会と市民に公開しながら進めることが不可欠です。
「ユニチカ跡地返還を求める市民の会」(宮入興一他2名共同代表)が5月22日に結成され、「豊橋市長に対し、ユニチカ株式会社に63億円の返還請求を行なうことを求める」住民監査請求の動きは短期間で急速に進み、本日695名の市民が請求人に名前を連ね、提出しました。その後の記者会見には13社のテレビ局、新聞社が詰めかけたということです。
主権者として市民が主人公である市政をつくっていく動きが始まっています。

豊橋市はこの声に誠実に応えるべきであり、監査結果を注視するとともに、議員として市政をチェックするという本来の役割を果たすべく、今後もこの問題に積極的に取り組んでいきたいと思っています。

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ユニチカ跡地問題緊急報告・討論集会 市の責任を問う声が次々と

2016年02月15日10:27

P1020043.jpg
2月14日生活家庭館で緊急集会を行ないました。
地元を中心に90名の参加で、会場は超満員。あらためてこの問題への関心の高さと問題の重大性が浮き彫りとなりました。
最初に県議しもおく奈歩事務所の鈴木正廣所長がパワーポイントで作成した資料を使ってユニチカの跡地や周辺の状況、情報公開請求によって入手した資料を使って報告。続いて鈴木みさ子より、議会への市の対応や、12月定例議会での市の答弁や、問題点などについて報告しました。
ユニチカ豊橋
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鈴木正廣所長作成の資料より。
弥生町というひとつの町に匹敵する広大な町が作られようとしている。
土壌汚染
汚染された土の一部が野積みされている。「シートで覆われているからだいじょうぶ」というのだが。

会場からは
「ユニチカは豊橋の経済の発展に充分貢献したというが、それは企業なのだから当たり前。無償で提供された土地で、企業として大きな利益を上げてきたのだから、それを理由に豊橋市が返還を求めないのは納得できない」。
「共産党しかこの問題をとりあげていないなんて、議会は何をやっていたのか」
「早川市長の時までは返してもらうことが既定路線であったのに、佐原市長になって明らかに方針を変えたのには、何か理由があるのか」
「63億円で売却されたが、市の損失は計り知れない。今後、公共施設を住宅地に作っていく必要があると思うが、またその土地を買収するとしたら、二重の損失だ」
など、厳しい意見が続出でした。
市は早い時点からこの土地の売却問題に関与しているであろうと思える情報が、いろいろ出てきています。しかし、いまだに市民に対しては一切説明はありません。「市民不在」のまま進められているユニチカ跡地問題。
佐原豊橋市政を正面から問う重大な問題に発展してきました。

コミュニティバスそして「まちなか図書館」建設委員会質疑より

2016年02月12日20:45

2月9日の建設委員会で都市交通計画(2016-2025)と、まちなか図書館他についての審議が行なわれ、コミュニティバスとまちなか図書館についての質疑を行ないました。

医療センターまで往復1000円! 利用者負担が大きすぎるコミュニティバス現在、北部地区(柿の里バス)、東部地区(やまびこ号)、前芝地区(しおかぜバス)、(南部地区(愛のり君、予約制)、川北地区(スマイル号)の5地区でコミュニティバスが運行されています。
柿の里バス2
石巻・賀茂を結ぶ「柿の里号」
豊橋市の場合、地域の協議会などがコミュニティバスの運営主体となり、運行路線や運行日、停留所などを決め、市が収支率に応じて運行支援(マイナス分の補助)をしています。「柿の里バス」と「愛のり君」では、運賃の最高額が500円。柿の里バスは、石巻から医療センターまで乗ると往復で1000円。時間も石巻から1時間40分かかります。利用者からは、時刻表が年2回も変わる。土日の運行はない。朝夕は予約が必要など、高くて不便という声が出されています。
image002.jpg
(愛知県地域振興部交通対策課 2014年5月現在 自主運行バス運賃設定状況)

 県内54市町村中、49市町村でコミュニティバスが運行されており、100円均一が約50パーセント、200円が約30パーセント、300円は3、7パーセント、500円は0.3パーセントに過ぎません。地域の方は様々な努力をしていますが、住民に運営を任せるのでは限界があります。また、巡回バスがほしいという声も切実です。
「地域を越えて、病院、公共施設を安価で結ぶ巡回バスが必要だと思うが」と問いましたが「運行する考えはない」という答弁でした。
 豊橋市内のどこに住んでいても、誰もが等しく、気軽に乗れる公共交通を、市の責任で走らせるべきと主張しました。

まちなか図書館について素案が示される。「まちづくり」を担う図書館とは
市民に説明されてこなかった「まちなか図書館計画」とはまず、昨年末の時点で図書館計画の問題点について、「東三河暮らしと自治研究所」会報に寄稿しましたので、その原稿を転載します。背景や、概要、問題点をまとめたものです。
豊橋市「まちなか図書館計画」は、誰のためのもので、どこへ向かおうとしているのか。          
 
中心市街地再開発と一体化した図書館建設計画
 現在、豊橋の駅前大通で、「まちなか図書館」建設計画が進行中です。
この計画は、豊橋市第2期中心市街地活性化基本計画に組み込まれているもので、事業の概要は、豊橋駅前大通二丁目地区市街地再開発組合を実施主体とし、事業期間は、2014年度から2018年度までの5年間。機能廃止した地下のバスターミナル施設や、老朽化した名豊ビル、開発ビルと、狭間児童広場一帯約1・5haを、マンション、商業施設、広場、図書館として、総合的に整備を進める再開発事業です。豊橋市は、中心市街地活性化基本計画に、公共施設である図書館の整備という枠組みを作ることで、事業全体に対し、国から有利な補助を受けることが可能になるとしています。
 事業費は明らかにされていませんが、市担当者によると「数百億規模」の再開発事業総額のうち、取り壊し費用、設計費、廊下、エレベーターなどの共有部分につき、国が3分の1、県と市が6分の1ずつ、地権者が残りの3分の1を負担、また「数十億規模」の図書館の床買取費用や内装費用について、国と市が2分の1ずつの負担になるということです。
7月に公表された基本計画によると、まちなか図書館は、年間50~70万人の利用者をめざし、中心市街地の「にぎわいの創出やまちづくりにつながる図書館」を基本方針に掲げています。マンション、商業施設などが入る再開発ビルの東棟2、3階部分に設置し、床面積は3000~4000㎡、蔵書数は10万冊程度、カフェや夜間の酒類の提供スペースなどを盛り込んでいます。
現在は、公募型プロボーザルによりゲンスラー・アンド・アソシエイツ・インターナショナル・リミテッドと1600万円を上限とする契約を結び、2016年3月末を期限として実施計画の策定中です。同社はアメリカに本社を置き、上海タワーや、空港、有名ホテル、フェイスブック本社などを手がけた世界最大規模の設計事務所です。特定理由は「サードプレイスのコンセプトを取り入れた居場所づくりにより利用者のライフスタイルを豊かにするなど新しい図書館の可能性を感じる提案であったこと」「シームレスに繋がるコミュニティプレイスラインを通して館内を体験できる空間提案など、豊橋流コミュニティプレイスとして特徴的なサービスと魅力的な空間について優れた提案があったこと」としています。想像力が乏しいのか、私にはどんな図書館になるのか理解できず、市民が置き去りにされているように思えてなりません。

まちなか図書館建設計画の問題点は何か
一方、市民の意見を聞く会や、パブリックコメントで寄せられた声では、「入りやすい1階部分につくってほしい」「新しい図書館を作りたいのか、活性化したいのか」「商業施設による集客でなく、文化的で市民の誇りとなる図書館の魅力による集客で、よりよい図書館を目指してほしい」「計画は白紙に戻しもっと意見を募集すべきではないか」など現在のすすめ方や方針に対し、厳しい意見も多数出されています。市は商業施設は2階以上の高層部分に作れないため、現在の計画は変えないという方針です。
基本計画では肝心な管理体制(直営、指定管理、委託等)の方向性や、建設費用は公表されていません。ツタヤに委託するようなことは考えていないとはいうものの、議会などでは、今後、様々な手法を比較検討する中で、最適な手法を選択するという答弁を繰り返しています。
費用についても、再開発事業全体の費用の算出ができるまでは、床単価の算出ができない、また、地権者の調整や、再開発事業全体に影響が出るおそれがあるなどという理由から公表できないの一点張りです。
公共事業の根幹さえ、市民に示さないまま、実施計画にまで突き進んでいる豊橋市「まちなか図書館」計画。再開発計画と一体化しているために、「中心市街地活性化」が優先されていることが、めざす図書館の姿や、具体的な中身をとらえにくくしています。
すべての情報の公開と、図書館の運営体制は市の直営とすることを基本とした、あるべき図書館の姿を問いかけ続けていくことが、市民の側にも必要だと感じています。

そして、2月9日の建設委員会でようやく「まちなか図書館」の姿が見えてきました。
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ゲンスラー社作成のアクティブゾーン・グローアップゾーンのイメージ図
総整備費約37億円(負担割合は国と市で2分の1ずつ)、工事着工を2017年度、完成予定を2019年度とする「まちなか図書館実施計画」と「まちなか広場基本計画」の素案が出されました。まちなか図書館の実施計画案では、管理運営については「直営」を基本に検討を進める一方、業務によっては、指定管理もありうるとの考えが示されました。床面積4000平方㍍。蔵書数10万冊と、比較的ゆったりのスペースを5つのゾーンに分け、「世界を広げ、まちづくりに繋げる“知と交流の創造拠点”」を基本理念に掲げています。最大の特徴は、「まちなか図書館」の組織構成です。「図書資料部門」の他に「まちづくり部門」が置かれているのです。「図書館がまちづくり」。これは他にない発想で、市民に対する丁寧な説明が求められます。
10時まで開館、休館日は月1回とかなり開館時間も長く、アルコール類の提供なども基本計画にはありましたが、これについても問うたところ、今後検討するとの答弁でした。高校生や中学生が利用する図書館にはふさわしくありません。市民に分かりやすく、利用しやすい図書館にすべきと重ねて、要望しました。
まちなか図書館についての市民説明会が行なわれます。
・2月13日(土) 午前10時~正午/プラット
・2月17日(水) 午後7時~8時50分/豊橋市職員会館5階
・2月20日(土) 午前10時~正午/豊橋市中央図書館

「ユニチカ跡地売却問題」豊橋市の姿勢を問う(その2)

2016年02月04日17:29

前回のブログに売却の経過について書きましたが、その続きとして、ユニチカの経営状況の悪化、ユニチカからの申し出文書の存在、佐原市長の対応などについて書きたいと思います。

ユニチカの窮状と豊橋事業所の撤退
売却に至る経過で、見逃せないのは、2014年5月にユニチカ㈱が金融支援を要請していたことです。
「繊維事業の縮小や、それに代わる収益源の育成が遅れたことから業績が低迷し、自己資本比率が6.1%まで低下。低採算・非中核事業の縮小や撤退を進めるため15年3月期に約440億の特別損失を計上。これに伴い約160億円の債務超過に陥ることから、三菱東京UFJ銀行などに対し、第三者割り当増資を実施し、総額375億円を調達すると発表」と2014年5月27日付日本経済新聞が書いています。

ユニチカは豊橋市に「跡地売却」について相談していた!このように業績が低迷する事態となり、ユニチカは「万やむを得ず、豊橋事業所における創業を停止する方向性を固めた」として、事前に豊橋市に売却の意向を伝え、「相談したい」と申し出ていました。(2014年10月9日)その文書の存在が情報公開請求により明らかになりました。
これがそのときの文書です。
001_20160204172556983.jpg
・2015年3月末までに豊橋事業所全体を閉鎖する。
・跡地は再開発を前提とする第三者へ売却したい。
・敷地の売却は、三菱UFJ信託銀行を、アドバイザー兼仲介者として執り行う。
・今後、敷地の売却および開発を行なうにあたり、豊橋市に相談したい。
という内容です。

ところが、豊橋市はこの事実と、契約書の存在をこのとき公表しませんでした。ユニチカが三菱UFJ信託銀行をアドバイザー兼仲介者として積水ハウスとの間で、売却の話を進行させていたことを容認していた、そして市民に「隠していた」ということになります。
まさに、創始者広岡新五郎も驚く「びっくりポン!」の事実です。

契約書、覚書、疑義事項協議書に「ユニチカ自らが土地をもう使いませんと意思表示をした場合に、土地を豊橋市に返還する」という約束を履行しなければならない義務が発生するのが、この申し入れが行なわれた2014年10月9日といえます。

民法上の消滅時効は10年ですから、法的には、豊橋市は契約違反、債務不履行でユニチカに対し63億円の返還請求ができると考えます。この件は知り合いの弁護士にも確認しました。
12月議会でのやり取りに先立つ市への聞き取りの中で、市は「返還請求は考えていない。顧問弁護士に聞いたら、裁判になったら負けると言われた」ということも言っていましたが、その根拠は明言しませんでした。

2015年5月 佐原市長のユニチカの土地問題についてのコメント
当然この事実を知っていたはずだと思うのですが、ユニチカ土地問題について、記者に問われた佐原市長は以下のようにコメントしています。

「敷地面積が8万坪余り、緑豊かな高師緑地に接し、渥美線の高師駅からは徒歩圏内、アイプラザにも近い、このようなすばらしいところに位置する広い土地ですので、本市にとっても大変重要な場所だと認識している。本市としても広く南部地域のまちづくりに生かしていくといった観点をもちながら、それがよりよいものとなるよう協議し、対応してまいりたいと考えています」

土壌汚染など、今後の問題は山積

 ユニチカ跡地からは土壌含有量が基準値の120倍の鉛およびその化合物や、土壌溶出量が62.5倍のフッ素およびその化合物が検出されています。また、基準値を超える六価クロム化合物も検出されているという報告がユニチカから2015年5月に出されています。市は「浄化対策を適切に実施するよう指導」という対応策を示していますが、企業任せにするのでなく、調査結果も明らかにする義務があると考えます。

いろいろ問題点はありますが、この経過を見る限り、市民の利益より、ユニチカの窮状を救うことが優先されたということになってしまうと私は考えます。

これからどのように対応していくか、地元をはじめとする市民のみなさんと、この問題に取り組んでいくことになりそうです。

「ユニチカ跡地売却問題」豊橋市の姿勢を問う(その1)

2016年02月01日16:22

NHK連続テレビ小説「あさが来た」が今評判です。ヒロイン白岡あさのモデルとなっているのが、明治時代指折りの女性起業家として知られる広岡浅子。そして、玉木宏演じるあさの夫白岡新次郎のモデルとなっているのが広岡信五郎です。彼こそ、ユニチカの前身となる尼崎紡績(のちに摂津紡績と合併し、大日本紡績)を立ち上げ、初代社長に就いた人、つまりユニチカの創始者なのです。
このユニチカ㈱豊橋事業所をめぐる重大な問題が起きています。
12月議会一般質問でとりあげましたので、その概要を紹介します。

2015年9月28日に各市会議員に対して、ユニチカ豊橋事業所の用地27万㎡、(8万坪、東京ドーム6個分の広さ)を63億円(坪当たり77,000円)で積水ハウスへ売却することを知らせるFAXが届きました。ちなみに周辺の路線価は坪当たり31万円です。差出人がユニチカであるFAXをみて、企業間の売買ではあるが、市民的な関心事でもあることから議員に知らせてきたのだろうと思っていました。ところが数日の間に大変な問題であることがわかりました。
ある文書が共産党市議団に届けられたのです。
さっそく、周辺の方にも話を聞いたり、市側にも聞き取りをするなどし12月議会でとりあげました。
1951年(昭和26年)の誘致から現在に至る経過と、売却の問題点を報告したいと思います。

猛烈な誘致合戦の末、手厚い優遇策でユニチカ誘致に成功したのが豊橋市だった

このユニチカの敷地は、戦後間もない昭和26年、市が国から払い下げを受け、当時のユニチカの前身である大日本紡績に無償譲渡、鉄道引込み線を引き、関連の道路や、排水路も市が新設、固定資産税は6年間免除するなど、手厚い優遇策をもって、誘致した土地です。当時日本を代表する紡績会社であった大日本紡績は豊橋市だけではなく、全国で28箇所が名乗りをあげ、猛烈な誘致合戦が展開されました。そんな中、市、市議会、経済界などが一丸となって、誘致に成功したと豊橋100年史には記されています。
操業当初は2000人の雇用を生み出し、豊橋の戦後復興とその後の経済の発展に大きく寄与してきたのが、ユニチカでした。
同社が64年にわたって使用、管理してきたのですが、近年は、繊維産業の衰退という流れの中で繊維部門が撤収、ハナビラダケの工場だけを残し、いわば休眠状態のまま、広大な空き地となって現在に至っていたという経過があります。
積水ハウスへの売却が発表されると、共産党市議団のもとへ、豊橋市と大日本紡績の間で交わされた「覚書」、「契約書」と、その後交わされた「疑義事項協議書」のコピーが届けられ、その内容に驚愕しました。

ユニチカと豊橋市の間にはある「約束」が交わされていた
覚書、契約書には、
ユニチカ株式会社は、「将来、敷地のうち使用する計画を放棄した部分は、これを豊橋市に返還する」とありました。
また、1966年(昭和41年)に交わされた「疑義事項協議書」には、「『将来』とはある一定の期間をさすものではなく、なんら期限の制約を受けるものではない」。「『敷地のうちで使用する計画を放棄した」とは、「使用する計画を放棄する旨、ユニチカ自ら市に対して意思表示した場合に限る」と、繊維産業の衰退とともに、疑義が生じてきたためか、あらためて文書を交わしていたのです。
 ユニチカが撤退する、つまり、使用する計画を放棄した際には、豊橋市へ返還する約束だったのにも関わらず、63億円で第三者である積水ハウスに売却してしまったのです。
豊橋市はなぜこれを黙認し、返還請求をしなかったのか、そして、この事実を市民や議会に知らせなかったのか、市の認識を問いました。
   12月議会でのやり取りは、
 
質問: ユニチカ豊橋事業所があった土地が、第三者へ売却されることに関する認識は?
答:「昭和26年の立地後60年余の長きにわたり、雇用の促進や税収の確保に加え、従業員とその家族による街のにぎわいの創出など本市の産業振興に大いに寄与していただいており、すでに誘致の所期の目的は果たされたものと認識しています。ユニチカ豊橋工場が存続できなくなったことは大変残念ではございますが、同社の経営上の判断であると考えています」

質問: 市民や議会に対して説明する責任があったのではないかと考えるが、市の説明責任に関する認識は?
答:「土地の売却は、あくまでもユニチカ株式会社の経営判断であることから、特段ご説明する必要はないものと認識しています」

こんな答弁を繰り返すのみで、質問にまともに答えない市の姿勢は無責任といわざるを得ません。

戦前戦後の時期、「糸の町」といわれていた豊橋には数多くの紡績工場があり、基幹産業となっていました。その核となって一時代を築いたのがユニチカでした。
しかし、十分に寄与していただいたこと、ユニチカの経営上の判断であることは否定しようはないけれど、そのことと今回の売却の件は別の問題であり、契約について、法的にどんな処理がなされたのか、それとも、ただ豊橋市はユニチカのなすままに任せたのか。そこのところが曖昧なままです。これは私にも追求の仕方が不十分だったという反省が残っています。

問題点は何か
その1、 住民自治を否定する市政でよいのか
誘致の経過や、契約書での約束があるにも関わらず、ユニチカの跡地を一切市民に知らせず、第三者への売却を黙認した姿勢は、市政のあり方として見過ごすことはできない。
その2、 「市民の財産」を63億円で手放した市の責任
本来なら市に入るべき「不動産=財産」であり、返還を受け、市が売却すれば、財政難の改善のためにも使えたはずである。
その3、 周辺住民への説明もまったくなされていない。
 自治会長への説明はあったが、広大な土地の宅地開発がなされると、街のかたちそのものが変わるほど多大な住環境の変化を受ける地元の住民の方への説明がまったくなかった。

引き続きこの問題を追及していきます。

豊橋市と大日本紡績が交わした契約書など
豊橋市と大日本紡績が交わした契約書など

沖縄やんばるの森 東村高江地区の伊佐さんの話を聞く。

2015年06月08日18:39

7日は豊橋向山文化会館で、「やんばるの森」で有名な沖縄県東村の伊佐真次村議(日本共産党)の講演がありました。米軍のヘリパッド建設阻止のたたヵい、沖縄の歴史、そして、現在、未来など、怒りやユーモアを織り交ぜながらの話に引き込まれた90分間でした。

ヘリパッドにオスプレイが来ることを、最後まで国は明かさなかった。今、低空で人家の上をオスプレイが飛び交っている。やんばるの森の北部訓練場で、20歳そこそこの女性も含めた米兵が、人殺しに生まれ変わっていく。
戦争と隣り合わせのところにいて何も言わなかったら戦争に加担することになってしまう。
東村の村議としても、米でのオスプレイ追突事故を受けての原因究明を求める決議や、ヘリパッド使用禁止の決議をあげた。(伊佐さんが当選したことで)「はっきりものを言っていいんだ」という雰囲気になってきている。

中国が攻めてくることはまずないといえる。多少の海域侵犯はあっても、こちらでは漁民どおし仲良くやっている。

「沖縄県は独立しようと思わないのか」という問いについては、
「沖縄県民は日本国憲法のもとに復帰したいといって、苦しいたたかいを続けて、本土復帰を果たした。それをまた
独立しろというのは二重に沖縄を見捨てることになる。 私が言いたいのは、日本こそ、アメリカから独立しろということだ」ときっぱり。大きな共感の拍手が起こりました。

最後に、いまの動きに触れ「戦争が起こったら、真っ先に基地のある沖縄が狙われる。軍隊は住民を守らない、武力で平和は作れない。外交こそ大事。日本国憲法9条を世界に知らせよう」
”私たちは負けない。なぜなら、勝つまで戦い続けるから”

厳しいたたかいの中でも、決して肩より上に手をあげない。非暴力(ことばの暴力も含め)に徹した、人間味あふれる伊佐さんに、沖縄の人々の楽天性、粘り強さと、真の強さをみました。

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神富神明社ご遷宮

2015年05月19日01:50

17日の日曜日は地元の行事が続きました。朝から消防の操方大会。そして、神野新田町の神富神明社の20年に一度の遷宮「奉祝の儀」への参加。私の町内からは自民、公明、民主系、共産と4人の市会議員が出ており、4人そろって地元行事に参加です。

122年前、三重などから入植してきた人たちによって、困難を極める中、三河湾を干拓し、500町歩の広大な農地がつくられたのが私の住む神野新田です。
その人たちが、五穀豊穣と、生活の安全を願い、干拓に尽力した神野家と、富田家から一字ずつとって命名したのが神富神明社。まさに神野新田の歴史のルーツそのものの神社であり、地元の人たちの、この遷宮へのひとかたならぬ思いを感じました。宮司さん先頭に、ご神体を神殿に戻す儀式や、雅楽、舞の奉納などが行なわれました。出番を待つ高校生の舞姫さん達すてきでした。
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奉納の儀式のあとは公民館で直会(なおらい。食事のことです)その会場の三郷公民館には、三郷(神野新田の旧町名)から出征したままこの地に帰ることのなかった、先の戦争の戦死者全員の遺影が部屋の壁を囲んでいます。三郷では、決して忘れられない村の青年たちです。、先に逝ったもの、残されたもの両方の思いが苦しいほどに迫ってきます。
無言のまま、私たちを見下ろす若者たちは、いま、何を語ろうとしているのか。こんな歴史を二度と繰り返すことがあってはならないと強く思います。DSC_0488.jpg


初議会、初質疑、初討論を行ないました。

2015年05月16日05:30

豊橋市議会議員となって20日。生活相談、議員研修、各団体のみなさんとの懇談や、宣伝行動などめまぐるしい毎日を過ごしています。

そんな中、5月15日、臨時議会で初質疑、討論を行ないました。国保税の課税上限額を81万円から85万円に引き上げることと、5割、2割の軽減該当所得の緩和がセットになったものですが、課税限度額の引き上げは、負担の増大になるため、承認できないと、登壇しました。(すでに4月1日付で、市長の専決処分が行なわれており、そのことの承認を求める案件)
冒頭、「日本共産党市議団を代表して討論を行ないます」といったとき、共産党の議員になったことを実感し、一人で感動しました。

斎藤議員によると、討論を自民党の若手の論客議員がほめてくれたそうです。

以下、討論原稿です。

豊橋市国民健康保険条例の一部改正について、日本共産党豊橋市議団を代表して不承認の立場から討論を行ないます。
以下その理由を述べます。

今回の豊橋市国民健康保険条例の一部改正により、課税限度額の上限が85万円に引き上げられることとなります。
今回の課税限度額の引き上げは81万円から85万円への4万円の引き上げとなりますが、引き上げは、ほぼ毎年のように行なわれており、2007年には65万円であった課税限度額が、8年後の2015年には85万円と実に20万円もの引き上げになっています。
そもそも、国民健康保険は社会保障の一環としての制度であり、自助や共助では決して支えることのできない国民・市民の医療保障をはかり、受疹する権利、健康になる権利、生きる権利を保障するための公的医療保険のひとつであります。所得に占める負担割合が1割以上に達する国保税の負担というのは、社会保障に相応しい負担を超えているものといわざるを得ません。

 現在の国保加入者は、2010年度の厚生労働省調査によれば、もっとも多いのが無職の方で40,8パーセント、派遣やパートなど非正規で働いていて被用者保険の加入対象とならない方々が35・5パーセントになり、自営業者は15.5パーセント、農林水産業者は3.1パーセントにすぎません。
 所得水準でみますと、2011年度の国保加入者一人当たりの年間平均所得は市町村国保で84万円、協会健保で137万円、組合健保で198万円となっており、市町村国保加入者の所得の低さは際立っております。
 豊橋市の場合も、1世帯あたりの年間所得200万円以下が約8割という低所得者層の割合が加入者の大多数を占めているというのが現状であります。
 一方、受診の必要が増える65歳以上75歳未満の割合が3割を超えており、加入者一人当たりの医療費で比較すると、他の健保に比べ、国保加入者は約2倍の医療費を要しております。
 
国民皆保険制度において、他の公的医療保険に加入する人々以外のすべてが加入する制度であることから、もっとも平均所得の低い国保加入者が、もっとも高い保険料を支払っているという構造上の問題をかかえているのが現在の国民保険制度です。
 国民健康保険税が高すぎて払いたくても払えないと言う声をたくさん聞いております。豊橋市において、2013年度の国保滞納世帯は7,928世帯、加入世帯の15.0パーセントに上っております。また、2014年の短期保険証交付世帯が4,431世帯、資格証明書交付世帯も124世帯であります。まさに、お金がないために、病気になっても受診できず、いのちの危険にさらされるという深刻な事態も生じているのです。
 
このような事態を招いた根本には、国による国庫助成金の引き下げが決定的な要因となっています。
 昨年4月の消費税8%への増税の際、増税分はすべて社会保障にあてますという国の説明とは逆行する社会保障の切捨て、引き下げが横行する中での今回の地方税法の改訂による国保税課税限度額の引き上げは、市民感情からみても到底理解を得られるものではないと危惧いたします。
 国は国庫助成金を削減し、愛知県も国保補助金をついには2014年度には廃止してしまうという状況の中で、豊橋市においても、加入者に負担増を求めざるを得ないという事につながるわけですが、決められた枠の中で、加入者間での増税、減額措置を繰り返していても、構造的な問題解決にはならないことは自明であります。国、県の負担金、補助金の削減や廃止が行なわれる中で、加入者へのこれ以上の負担を強いるべきではなく、豊橋市においても一般財源からの繰り入れや国、県への負担金、補助金の増額を求めるべきと考えます。

以上の理由により、今回の課税限度額の引き上げは、承認しかねます。
地方自治法第1条の「地方公共団体は、住民の福祉の増進を図る」という目的にのっとり、住民のいのち・くらしを守る立場での市政運営をお願いし、私の討論といたします。
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戦争する国づくり絶対に許さない

2015年03月20日19:19

今日は3月20日。地下鉄サリン事件から20年であり、そのことが朝から報道されています。忘れてはならないことですが、私にとってもうひとつの忘れられない3月20日のできごと。それは、イラク戦争の開戦です。12年前の2003年3月20日。長男の高校合格の発表の日でした。子どもの新たな出発を喜ぶ気持ちと、戦争の勃発への怒り。無法なアメリカの仕掛けた戦争への怒りで、その日の豊橋駅での抗議活動に集まった多くの市民と、戦争反対を訴えました。
その後の経過は、開戦の大義名分にした大量破壊兵器は見つからず、今ではこの戦争は違法な侵略戦争であったことが明らかとなっています。そのために65万人以上とも言える罪のないイラクの人々が犠牲になり、5000人もの兵士がなくなっています。今でも劣化ウラン弾などの化学兵器による環境汚染の影響で、イラクの人たちの苦しみは続いています。
そして、イラク特措法のもと日本から自衛隊が派遣されたことは、憲法違反であったと、名古屋高裁で判決が出されています。

12年後の3月20日、自民党と公明党は「集団的自衛権行使容認の閣議決定に基づき、それを具体化する戦争立法で基本合意しました。周辺事態法改定、海外派兵恒久法、自衛隊法の改定など、「海外で戦争する国」へまっしぐらの戦争立法です。いつでもどこへでも自衛隊を派遣できる体制をつくって、イラク戦争のような違法な侵略戦争に加担することになる、こんなことを絶対認めるわけにはいきません。
ISなどの蛮行は許されざることで、「テロとのたたかい」という「大義名分」のもと、日本が参戦することは現実味を帯びてきます。報復は新たな報復を生み、戦火は際限なく拡大し、犠牲になるのは罪のない人々です。日本の若者の血を流すことにもなります。
12年前を思い出しながら、特別な思いを込め、朝の市役所前の宣伝では、戦争する国づくりすすめる安倍政権ストップさせ平和を守りぬくことを訴えました。

中部電力へ「浜岡原発永久停止・廃炉」を申し入れ

2015年03月13日11:08

3月8日、豊橋で「つながろう福島・なくそう浜岡原発 3・11追悼東三河市民のつどい」が、同実行委員会主催で行なわれ、400人以上が参加。最後は中電豊橋営業所を回るコースを「原発いらない!」「なくそう浜岡原発!」とアピールしながらパレード。ぽかぽか陽気で子どもさんの参加も多く、3回目となるこの集会にも新たな顔ぶれが増えました。

9日は集会参加者の総意で確認した「浜岡原発の永久停止・廃炉を求める要請文」を各団体の代表で中電豊橋営業所に届けました。私も「浜岡原発いらない東三河の会」のメンバーとして参加。中電側は総務グループ課長はじめ3名が対応。参加者とのやり取りは次のようなものでした。
「福島原発の事故をどうとらえているのか― 電力会社としての責務はある。復興に向け電力会社全体で尽力する必要は感ずる。
福島の事故が収束していない。過酷事故は起こり得る。浜岡原発は「世界一危険な原発」であるのに、周辺の自治体の住民の避難計画もできていない。このような状況にもかかわらず、なぜ、原発をすすめるのか。―火力発電が故障し、3パーセント、4パーセントダウンする場合のリスク回避のため原発が必要。
リスクというなら原発ほどリスクの高いものはないのではないか。
原発は国の政策だから進めざるを得ないのか。―エネルギー事業の一つとして、中部電力は原発の推進を進める方針である。」
先方は営業所であって、回答する立場にないことを強調していたが、エネルギー事業者としての中電の方針は、原発に固執するものであると言明。堤防のかさ上げなど再稼動に向けた適合審査のための工事費が、2月の電気料金大幅値上げに反映されていることも認めていました。
私たちの切実な声を、3人のうち誰もメモひとつ取っておらず、本当に社長に伝えてくれるのか、回答はどうあれ、きちんと伝えてほしいこと。会社の方針だというが、今の福島の状況の中で原発をすすめることについて、本当に推進でいいのかと、公共性の高い電力会社だからこそ、原発からの撤退と、自然エネルギーの開発に真摯に取り組んでほしいと訴え、3回目となる約1時間の懇談を終えました。

プロフィール

misakos

Author:misakos
ジョセフ・ガーソンさんと

1957年長野県伊那谷で生まれる。
1975年長野県赤穂高校卒業
1979年日本福祉大学2部社会福祉学部卒業
学童保育指導員、医療事務などを経て1990年から法律事務所勤務。2010.11退職
2010.5 NPT再検討会議ニューヨーク行動へ参加。
豊橋の情報公開をすすめる会事務局
浜岡原発いらない東三河の会事務局長 
日本共産党東三地区 くらし福祉相談室長

好きなこと:うたうこと,野球の応援(ドラキチです)

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